ぬのさんのスパイスフリークな日々 | 布川俊樹ブログ

爺になって蘇る鉄っちゃん楽しい!- [個人的案件] - 2024年3月1日

小学生の頃、相当の鉄っちゃんだった。

あまりに好きなもんで、小学校1年の頃に親が鉄道模型HOゲージの入門セットを買ってくれた。

車輪が2つしかない電気機関車(EF58じゃなくてEB58というまあバッタもの機関車だ)と短い車両2両くらい、線路はただの円形だ。

しかしそれは布川少年の野心に火を付けるには充分過ぎるものだった。

以来、僕は全てのお年玉やお小遣いをHOに費やすようになったのだ(それはおもちゃというには、あまりに高価なものだったから)。

線路は増えて長くなって行き、切り替えもできて高学年の頃には複線化も成し遂げた。

1970年小6の頃、あまりに衝撃的にカッコいい新車両が国鉄に登場した。

月光型581系寝台特急だ。

結構な人数の友人で繰り出して撮り鉄した上野駅での初めての出会いは忘れられない(僕が観たのは正確には交流対応の583系だけどね。ルックスはほぼ同じ)。

ギタリストに喩えてみれば、中3でジェフベック、大4でジョンスコフィールドを初めて観た瞬間と同じくらいの興奮と恍惚の体験ってところだろうか。

本物を拝んでから程なくして新発売4両編成の月光型HO模型も買うことができた。

4両で何と16,000円くらいだったから、現在でも相当立派な額だと言えよう(親戚もたくさんいたから当時はお年玉はたくさんもらえたんだろう)。

一方、鉄道写真に関しては、たまに撮っていたくらいで全く「撮り鉄」ではなかった。

何処かに行ったときについでに撮るくらいの感じ。

僕が何より好きだったのは時刻表だった。

小6の頃の愛読書は、時刻表、月刊誌鉄道ファン、鉄道百科事典。

そういった本を見て全ての国鉄特急列車の車両の種類を調べ、停車駅を書き出したりするわけだ。

列車の出発駅から終着駅までの平均速度を出すのも好きだった(完全なオタクそのもの…苦笑)。

ちなみに、新幹線を除いて一番速かったのは東北本線「はつかり号」で583系!

笑っちゃうのは、東海道本線の各駅を東京から神戸まで全部覚えたこと。

全くオタッキーでどーでもいいことガンバっていたわけ。

まあ、そういう小学校鉄ちゃん経験がジャズ渡世人人生には少しだけ役立ってはいるんだけどね(地方に行ったときかなり地名を知ってる方だから…笑)。

SL原体験で覚えてるのは、小6夏休みに家族で車で行った中部地方の旅行(我が家はEXPO 70には全く興味がなかった)。

飛騨高山、輪島、福井県小浜と3箇所で泊まった。

高速が完備されてない時代にあんなところまで行ったのもいま考えてみるとすごい。

で、車で走ってるときに並走した小浜線のSL、C58に感動。

多分僕が相当乗りたがったんだと思う。

父は予定を変更して僕をその列車に乗せてくれた。

人生初のSL乗車体験だった。

車を一体どうしたのかとか、僕以外の家族がどうしたとか全く覚えていないんだけどね(僕が1人で乗って家族が追っかけてくれたのかも…謎)。

その後中学生になってからは、鉄道ファンの友人2人と小海線にSL写真撮りに行ったくらい。

HOゲージは、小6で始めた開業医息子の同級生がいきなりEF66とコンテナ貨物列車とかを買ったもんで、HO先輩としては完全に萎えてやる気が失せてしまった。

だって、機関車って1両で1万以上するんだよ!

初心者がそんなの普通買わない(涙)。

夢叶えて感動だった月光型4両は、中学入って友人(やっぱり開業医息子…苦笑。いまでもたまに会う)に売ってハードロックのLPに形を変えた。

果たしてわらしべ長者だったのか??

まあ、いまの職には繋がっている気もするが(笑)。

それから約50年、鉄道とは縁遠い人生になった。

しかし、急に先日2/16、鉄っちゃん魂が解凍されたのだった。

松本陽一くんという東工大6類から建築学科に進んだ同級生が、SL撮り鉄ツアーをアレンジしてくれたのだ。

彼は超有名企業を退職して現在は悠々自適のなかなかの趣味人である。

ヨット、テニス、スキー、SL、歌舞伎鑑賞etc.

音楽はキーボード奏者で福田重男氏のレッスンも受けている。

今回は、その彼の中学高校の同級生で撮り鉄盟友、小山在住の皆川薫さんが全てをコーディネイトしてくれた。

宇都宮には関東屈指のSL、真岡鐵道が走っている。

鉄道からずっと離れてはいたが、僕もそれくらいは知っていた。

小山駅で皆川さんと初対面のご挨拶をして、車で真岡鐵道の始発駅、下館駅に向かう。

しかし2人の親友の会話は面白すぎ。

2人は中学高校と日本中のSLを撮ってまわったらしい。

撮るメカの話(カメラその他)、撮影技術の話、機関車のディテール、沿線の地形に至るまで、智に溢れている会話が湯水のように展開される。

なんかブラタモリに付き合うアナウンサーの気分だ。

お見それしました。

皆川さんは真岡鐵道SL保存の会のメンバーでもあり、まるでマツコの番組にも出てきそうな「プロフェッちゃん」だった。

始発駅の後は、常に車で先回りしてカメラ映えするポイントを何ヶ所も回って頂いた。

そんなアテンドあって、失敗を繰り返しながらようやく撮れたド素人写真が以下でございます。

最高に楽しかった。

また行きたいな。

“鉄っちゃん
“鉄っちゃん
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爺友生活楽し!

SL撮影をひとしきり終了してからは、濱田庄司記念益子参考館へ。

写真はコーディネーター皆川薫さんに頂いたもの。

本人曰く「汽車バカ」。

大変お世話になりました。

どうもありがとうございました。

今年の目標は「よく遊べ、よく学べ、あんまり働かない(笑)」

結構実践してるかも…。

“鉄っちゃん
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“鉄っちゃん
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